気楽になんて生きれない。
2001年5月1日ちょっとメールで高校の時の友達とケンカしてしまった。
最近の出来事をお互い語りあってたんだけど、
「まあ気楽に生きてらっしゃること。いいねえ。」とか言われたんやもん!
これにはマジでかなりムカついたんですケド!
おいおいおい。一体あたしのどこが気楽に生きてるっていうの!?
悪いけど気楽に生きてない女子大生上位40%以内には含まれてる自信はある。
いや、本音を言うと35%以内はイケると思う!
まったく、そういうセリフは1回あたしになってから言ってほしい。
なんで彼女がそんなこと言ったかっていうと、
あたしが楽しそうでうらやましかったらしい。
それはとんでもない誤解ってなもんである。
だってそりゃそうやん。
あたし、友達にメールでわざわざ辛いこととか愚痴ったりしないもん。
全くしないとは言わないけど、極力しないように最近は心掛けてる。
あたし自信愚痴られるのは大ッキライだもん。
愚痴っていうのは大抵一方的に始まって、最後まで聞く義務がそこで生じてしまう。
もし途中で中断したら、おそらく友情に亀裂が入る。
人間は悩みやらなんやらを語るだけで心理的な治療効果があるもんらしいけど、
(カウンセリングとかがその代表)
聞かされる方はたまったもんじゃない。(報酬もないのにさ)
もちろん、友達なら愚痴も悩みも聞いてあげるべきだと思う。
でもあたしはそんな負担を友達にかけたくない。
それは自分がされて嫌なことは、人にするべきではないと思うから。
ましてやメールなんていちいち返事うつのめんどくさいしさ!
だから彼女はあたしの生活をただ美味しいとこどりしただけで、
「気楽だ」という判断を下したんだろうけど・・・。
ねえ?それにしてもあんまりよね。
あんた、朝から晩まで精神病の勉強してみろっていうのよ・・・。
病むよ。(笑)確実に!!
ところで今日読んだ本に年をとってからの10年はあっという間だ、みたいなことが書いてあった。
フッと思ったんだけど、あたしはつまんない授業中とかそういう時間が早く過ぎ去ってほしいとき、
まるでマンガの1ページをめくった時のように時間が過ぎる時をよく想像する。
ほら!「その後・・・」とかヒトコマ使って説明する場面あるでしょ?
このページをめくるように、早く時間よ過ぎろ!と願う。
そして実際に振り返ってみれば、その時間はマンガの1ページ分くらいの時間とそう大差はない。
でも・・・もしかして、あたしの人生もその1ページとそう変わらないんじゃない?
とか今日思ってしまった。
今この瞬間にこんなことを考えてるけど、
気がついたら65歳くらいのばあちゃんになってたりとかするんじゃないだろーか。
ああ、そんなの怖すぎる!
でも、昨日の出来事と半年前の出来事っていうのは違うけど、
半年前の事と1年前の事はそう変わらない。
ってことは、10年と40年という時間が大差なくても不思議はない。
・・・やだなあ、そんなの。
せめて、マンガ8冊分くらいはほしいよ、人生。
本といえば。
「ベロニカは死ぬことにした」っていう本が欲しくて本屋で探したんだけど、見つからなかった。
(っていうか今日体調悪いから5限さぼってきた・・・)
残念だったんだけど、またこんな本読んだら母親に文句言われるんだろうなあーとか思った。
なんであたしはこんなこと、考えちゃったんだろう?
まだ買ってもいない本のことで怒られる自分の姿をシュミレーションしてしまった。
自分の中の他者に怒られるっていうのもなんとも滑稽なもんよね。
で!なんで母親はあたしを怒るんだろう?と考えた。
それは多分「死」っていうのがこの国でタブーになってるからだと思う。
考えてみれば、死は絶対に誰にでもやってくる。
なのにあたしたちはそれに触れようとしないし、知りたがらない。
いたってメジャーな出来事のはずなのに、なんで皆腫れ物扱いするんだろう?
確かに死には不吉なイメージがある。(というか死そのものが不吉だ。)
でも、だからって死そのものを見つめないようにするというのは・・・
生そのものを否定することになるような気がするのは、あたしだけなのかな?
ちなみに、もうひとつのタブーの代表って言ったら、そりゃあもうセックスだろう。
あたしたちなんて性行為の産物なのに、それについて語る相手なんていうのはよほど限定される。
死もセックスも、生命体にとって切っても切り離すことのできないもんなのにね。
なんかおかしい。
どちらもあまりに生々しすぎて日常からかけはなれた事だから、隠すのかなあ。
まあとにかく、今後平穏に生きていくためにも母親の目からはこのテの本は隠さなきゃな!
ある意味エロ本状態やよ・・・ホンマに!
最近の出来事をお互い語りあってたんだけど、
「まあ気楽に生きてらっしゃること。いいねえ。」とか言われたんやもん!
これにはマジでかなりムカついたんですケド!
おいおいおい。一体あたしのどこが気楽に生きてるっていうの!?
悪いけど気楽に生きてない女子大生上位40%以内には含まれてる自信はある。
いや、本音を言うと35%以内はイケると思う!
まったく、そういうセリフは1回あたしになってから言ってほしい。
なんで彼女がそんなこと言ったかっていうと、
あたしが楽しそうでうらやましかったらしい。
それはとんでもない誤解ってなもんである。
だってそりゃそうやん。
あたし、友達にメールでわざわざ辛いこととか愚痴ったりしないもん。
全くしないとは言わないけど、極力しないように最近は心掛けてる。
あたし自信愚痴られるのは大ッキライだもん。
愚痴っていうのは大抵一方的に始まって、最後まで聞く義務がそこで生じてしまう。
もし途中で中断したら、おそらく友情に亀裂が入る。
人間は悩みやらなんやらを語るだけで心理的な治療効果があるもんらしいけど、
(カウンセリングとかがその代表)
聞かされる方はたまったもんじゃない。(報酬もないのにさ)
もちろん、友達なら愚痴も悩みも聞いてあげるべきだと思う。
でもあたしはそんな負担を友達にかけたくない。
それは自分がされて嫌なことは、人にするべきではないと思うから。
ましてやメールなんていちいち返事うつのめんどくさいしさ!
だから彼女はあたしの生活をただ美味しいとこどりしただけで、
「気楽だ」という判断を下したんだろうけど・・・。
ねえ?それにしてもあんまりよね。
あんた、朝から晩まで精神病の勉強してみろっていうのよ・・・。
病むよ。(笑)確実に!!
ところで今日読んだ本に年をとってからの10年はあっという間だ、みたいなことが書いてあった。
フッと思ったんだけど、あたしはつまんない授業中とかそういう時間が早く過ぎ去ってほしいとき、
まるでマンガの1ページをめくった時のように時間が過ぎる時をよく想像する。
ほら!「その後・・・」とかヒトコマ使って説明する場面あるでしょ?
このページをめくるように、早く時間よ過ぎろ!と願う。
そして実際に振り返ってみれば、その時間はマンガの1ページ分くらいの時間とそう大差はない。
でも・・・もしかして、あたしの人生もその1ページとそう変わらないんじゃない?
とか今日思ってしまった。
今この瞬間にこんなことを考えてるけど、
気がついたら65歳くらいのばあちゃんになってたりとかするんじゃないだろーか。
ああ、そんなの怖すぎる!
でも、昨日の出来事と半年前の出来事っていうのは違うけど、
半年前の事と1年前の事はそう変わらない。
ってことは、10年と40年という時間が大差なくても不思議はない。
・・・やだなあ、そんなの。
せめて、マンガ8冊分くらいはほしいよ、人生。
本といえば。
「ベロニカは死ぬことにした」っていう本が欲しくて本屋で探したんだけど、見つからなかった。
(っていうか今日体調悪いから5限さぼってきた・・・)
残念だったんだけど、またこんな本読んだら母親に文句言われるんだろうなあーとか思った。
なんであたしはこんなこと、考えちゃったんだろう?
まだ買ってもいない本のことで怒られる自分の姿をシュミレーションしてしまった。
自分の中の他者に怒られるっていうのもなんとも滑稽なもんよね。
で!なんで母親はあたしを怒るんだろう?と考えた。
それは多分「死」っていうのがこの国でタブーになってるからだと思う。
考えてみれば、死は絶対に誰にでもやってくる。
なのにあたしたちはそれに触れようとしないし、知りたがらない。
いたってメジャーな出来事のはずなのに、なんで皆腫れ物扱いするんだろう?
確かに死には不吉なイメージがある。(というか死そのものが不吉だ。)
でも、だからって死そのものを見つめないようにするというのは・・・
生そのものを否定することになるような気がするのは、あたしだけなのかな?
ちなみに、もうひとつのタブーの代表って言ったら、そりゃあもうセックスだろう。
あたしたちなんて性行為の産物なのに、それについて語る相手なんていうのはよほど限定される。
死もセックスも、生命体にとって切っても切り離すことのできないもんなのにね。
なんかおかしい。
どちらもあまりに生々しすぎて日常からかけはなれた事だから、隠すのかなあ。
まあとにかく、今後平穏に生きていくためにも母親の目からはこのテの本は隠さなきゃな!
ある意味エロ本状態やよ・・・ホンマに!
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