片付けられない女です。
2001年2月15日「片付けられない女たち」を買った。
まだ半分までしか読んでないんだけど、
今感じたことははどうしても書き留めておかなきゃならないと思った。
あたしって、なんて不等な扱いを受けて育ってきたんだろう。
あたしは小さい頃からあんまり成績がよくなかった。
っていうか、どちらかというと落ちこぼれな方だった。
その上ドジだしグズだしのろまだった。
勉強も運動も何もかもできない。
だからみんなにいじめられてたし、
自分なんていじめられてもしょうがない人間なんだろうなーって思ってた。
生まれつき、能力が低いんだと思ってたから。
おまけに片付けもできない。
家では毎日毎日「片付けなさい」って怒られてたし、
部屋が片付くまで夕飯ぬき、なんて目にあったことも何度もあった。
お母さんなんて、「お前の教育が悪いから麻紀がちゃんとせえへんねんやろ!」
ってお父さんに怒鳴られてたこともある。
でもあたしは、ちゃんと母親に整理整頓などの教育は受けた。
むしろ厳しくいわれてきた方だった。
でも、それでもどうしても
出した物を元の場所に戻すっていうそれだけのことがどうしてもできなかった。
それで、そのままここまで来てしまった。
そんな中で劣等感が形成されないわけがない。
自分ってなんてダメな人間なんだろう。
みんなにできることがなんであたしにだけできないんだろう?
って、ずっと思いながら生きてきた。
しかもあたしは、どうやらとびっきり我がままな人間らしい。
自分の要望は意地でも押し通そうとするし、協調性もない。
人に合わせようと思っても、それもどうしてもできなかった。
精神が拒絶反応を起こしてしまう。
だからやっぱり、ここでも疎外されがちな人間だった。
あたしにとっては、これが当たり前のことだった。
人に対する思いやりとかだって、あたしとしてはそれなりに持ってるつもりだった。
電車ではお年寄りに席を譲るし、募金だってその時の所持金全部つぎこんだことだってある。
(いや、ほんとにちょっとしかお金持ってなかったんだけどさ。)
それでもあたしはやっぱり、我がままで自分のことしか考えてない人間らしかった。
人間一日一善やってても、十日に一度の悪事の方がよっぽど目立つもんらしい。
勉強面では、国語は何もしなくってもいつも90点くらいは軽く取れてたけど、
数学と化学はどれだけがんばっても理解できなかった。
親も塾の先生も、努力が足りないっていってあたしを責めた。
体育なんて、「先生は正直者がバカをみるようなマネはしません。
努力してる者は正当に評価します」って言ってたのに、
毎回逃げ出したいのに一度も休まず真剣に参加したあたしの成績はいつも2だった。
ペーパーテストで97点取って、やっと3がもらえたくらいだった。
あたしはあたしなりにいつも精一杯がんばって生きてきたのに。
それでも回りには努力が足りないっていわれてた。
いじめられたりとか、そんな扱いをうけてばっかりだったから
性格もどんどん曲がっていった。
そのことでまた責められた。
どこに行っても楽になんてなれなかった。
仲のいい友達も、親友って呼べる友達もいた。
でも、そんな友達にでさえあたしのことを馬鹿にしてるんじゃないかと思って、
不安で不安でたまらなかった。
誰も信じられなくて人間不信になった。
それであたしは開き直った。
どーせあたしはバカなんだから、やっても無駄なんだって考えた。
それで、自分の好きなことだけをやるようになったら、
世界がどんどん変わっていった。
やってみたらあたしは以外としゃべりと仕切りの才能があったらしい。
しかもなかなかユニークな発想力っていうやつを持ってるらしかった。
その才能を発見してから、あたし自身も回りの環境もどんどん変わっていった。
あたしは馬鹿なんじゃなくって、
自分の才能を生かせる環境に恵まれなかっただけなんだって気付いた。
やっと自分を受け入れてもらえるようになったのは、
16の時だったと思う。
それまであたしは、全然自分に向いてない分野に無理矢理適応することを求められていた。
そりゃ不適応も起こすっちゅーねん。
そういう能力を生まれ持たなかったんだもん。
自分の生まれ持たなかった能力を要求されるっていうのは、どれだけつらいことだろう。
そんなの、八百屋に行ってバースディケーキ焼いて下さいっていうようなもんだ。
いくらやっても出来ないもんは出来ないんだってことを、
世の中は認めてくれない。
そろそろ文字数制限来そうだから、明日に続く。
まだ半分までしか読んでないんだけど、
今感じたことははどうしても書き留めておかなきゃならないと思った。
あたしって、なんて不等な扱いを受けて育ってきたんだろう。
あたしは小さい頃からあんまり成績がよくなかった。
っていうか、どちらかというと落ちこぼれな方だった。
その上ドジだしグズだしのろまだった。
勉強も運動も何もかもできない。
だからみんなにいじめられてたし、
自分なんていじめられてもしょうがない人間なんだろうなーって思ってた。
生まれつき、能力が低いんだと思ってたから。
おまけに片付けもできない。
家では毎日毎日「片付けなさい」って怒られてたし、
部屋が片付くまで夕飯ぬき、なんて目にあったことも何度もあった。
お母さんなんて、「お前の教育が悪いから麻紀がちゃんとせえへんねんやろ!」
ってお父さんに怒鳴られてたこともある。
でもあたしは、ちゃんと母親に整理整頓などの教育は受けた。
むしろ厳しくいわれてきた方だった。
でも、それでもどうしても
出した物を元の場所に戻すっていうそれだけのことがどうしてもできなかった。
それで、そのままここまで来てしまった。
そんな中で劣等感が形成されないわけがない。
自分ってなんてダメな人間なんだろう。
みんなにできることがなんであたしにだけできないんだろう?
って、ずっと思いながら生きてきた。
しかもあたしは、どうやらとびっきり我がままな人間らしい。
自分の要望は意地でも押し通そうとするし、協調性もない。
人に合わせようと思っても、それもどうしてもできなかった。
精神が拒絶反応を起こしてしまう。
だからやっぱり、ここでも疎外されがちな人間だった。
あたしにとっては、これが当たり前のことだった。
人に対する思いやりとかだって、あたしとしてはそれなりに持ってるつもりだった。
電車ではお年寄りに席を譲るし、募金だってその時の所持金全部つぎこんだことだってある。
(いや、ほんとにちょっとしかお金持ってなかったんだけどさ。)
それでもあたしはやっぱり、我がままで自分のことしか考えてない人間らしかった。
人間一日一善やってても、十日に一度の悪事の方がよっぽど目立つもんらしい。
勉強面では、国語は何もしなくってもいつも90点くらいは軽く取れてたけど、
数学と化学はどれだけがんばっても理解できなかった。
親も塾の先生も、努力が足りないっていってあたしを責めた。
体育なんて、「先生は正直者がバカをみるようなマネはしません。
努力してる者は正当に評価します」って言ってたのに、
毎回逃げ出したいのに一度も休まず真剣に参加したあたしの成績はいつも2だった。
ペーパーテストで97点取って、やっと3がもらえたくらいだった。
あたしはあたしなりにいつも精一杯がんばって生きてきたのに。
それでも回りには努力が足りないっていわれてた。
いじめられたりとか、そんな扱いをうけてばっかりだったから
性格もどんどん曲がっていった。
そのことでまた責められた。
どこに行っても楽になんてなれなかった。
仲のいい友達も、親友って呼べる友達もいた。
でも、そんな友達にでさえあたしのことを馬鹿にしてるんじゃないかと思って、
不安で不安でたまらなかった。
誰も信じられなくて人間不信になった。
それであたしは開き直った。
どーせあたしはバカなんだから、やっても無駄なんだって考えた。
それで、自分の好きなことだけをやるようになったら、
世界がどんどん変わっていった。
やってみたらあたしは以外としゃべりと仕切りの才能があったらしい。
しかもなかなかユニークな発想力っていうやつを持ってるらしかった。
その才能を発見してから、あたし自身も回りの環境もどんどん変わっていった。
あたしは馬鹿なんじゃなくって、
自分の才能を生かせる環境に恵まれなかっただけなんだって気付いた。
やっと自分を受け入れてもらえるようになったのは、
16の時だったと思う。
それまであたしは、全然自分に向いてない分野に無理矢理適応することを求められていた。
そりゃ不適応も起こすっちゅーねん。
そういう能力を生まれ持たなかったんだもん。
自分の生まれ持たなかった能力を要求されるっていうのは、どれだけつらいことだろう。
そんなの、八百屋に行ってバースディケーキ焼いて下さいっていうようなもんだ。
いくらやっても出来ないもんは出来ないんだってことを、
世の中は認めてくれない。
そろそろ文字数制限来そうだから、明日に続く。
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