コミュニケーションの息苦しさ。
2001年2月10日今日はあたしがこの世で最も尊敬する先生の講演会だった。
と、いうわけで6時起きで行ってきました!三田まで!!
あぁああ・・・待ってましたvこの時を!!
ずっと前からすっごい楽しみにしてたんだよー。
で、大阪駅でけいちゃんと待ち合わせしてたんだけど・・・。
けいちゃん、寝過ごして現れなかった!!(笑)
と、いうわけで見知らぬ土地へ1人で行くハメに・・・。
1人でホンマに大丈夫なんか!?うち!とか思ってたら、
この前間違って降り立った川西池田で乗り換えをした。(笑)
ああ・・・なんか、因縁の地ってかんじ!
2週間ほどでまた川西池田に行くハメになるとはね・・・。(笑)
まあ迷うこともなく、サラッと三田に到着。
てきとーにしか切符買ってなかったんで、乗り越し料金払おうと思って並んでたら
いきなりトイレから先生が出てきた。(笑)
お互い「あ!!」ってかんじだったよ・・・。
そんで、ラッキーなことに先生を迎えに来てた車に一緒に乗せてもらって、
会場まで連れていってもらってしまった♪
うわーい!!早起きしたかいがあったってもんよ!(笑)
で、会場に到着。けっこうキレイなところだった。
今回は講演会っていっても、20人程度の小規模なゼミ形式のものだったから、
かなりアットホームな雰囲気でうれしかった。
っていうか、大学からわざわざ追っかけてきた生徒なんてあたしだけかと思ってたら、
他にもいたよー!(笑)
っていっても、その人は主催者の知り合いだったみたいなんだけどね。
何故かお互い顔だけは知ってて、中々に交流を深めてしまったわ。(笑)
しかも何故か、余ってるからって帰りの電車の切符までもらっちゃった!
なんか今日はラッキーすぎるぞ!!
で、講議はどんなだったかっていうと。
今回は主婦の人たちを対象としたものだったから、
社会学とはどういうものかから始まってすごーくわかりやすく整理されてた。
あ、ちなみに題名の「コミュニケーションの息苦しさ」っていうのは、本日の主題テーマ。
かいつまんで言うと、私達は自分の顔を鏡を通して見ることはできても、
自分の目で見ることはできない。
それと同じように、自分の心というものも自分の目で見ることはできなくて、
他者を通してしか自分自身を知ることができないのではないか、という考え方がある。
「自分は自分」なんていいながらも、いつも他人からの評価とかを気にしていて、
他者にどう思われたいかを演出したり、
その他者の評価を通して自分自身を評価しているっていうことだ。(ああ、うまく説明できない)
他者があって初めて、自分がわかる。
例えば、人に「お前は明るい」とか「面白い」と言われればその人は明るくて面白い人だし、
「暗い」と言われればその人はどれだけ自分が明るいと思っていても暗い人だ。
私自身の行為とは私がしているのではなくて、私の中の他者によって決められる。
この私の中の他者というのは自分の中でシュミレーションした他者の反応なり考え方だ。
そんで、そんな中で私達はそれぞれの状況や役割に応じて演技をして生きている。
例えば、生徒としての私。友達としての私。バイト先での私。家での私。ネットの中での私。
これら全部、同じ私なのにぜんっぜん違うものだ。
私達は、常にものすごくいろんな役割を持っていて、その役割を演じていて、
がんばってがんばって、がんばって生きている。
日常生活の行為と演技だ。
でもそんな中で、演じているけれど首尾一貫とした自分らしさがあると信じている。(これがアイデンティティってやつ)
でも、私達はその自分らしさっていうやつを、自分が主体的に自らの手で見つけたものだと信じたいけれど、
実はそれすら社会の規範だとか、他者からの評価など、
他者を通して手に入れたものだということに気がついていない。
でまあ、早い話しが全部演技なんだよーっていうこと!
生徒としての自分とか、働いてる自分とか、
その場に応じて、「ふさわしい、あるべき自分」というものを私達は常に演じている。
だってそうしないと、社会から排除されてしまう「困ったさん」になってしまうから。
社会からはみだすのはごめんだから、なんとか自分を「あるべき自分」へと持っていうこうとする。
でも、いくら一生懸命そんなものを探したところで、
それはただ近付けただけでそれすら自分の感情をコントロールした結果、
得たものなのだ。
ちょっとこれって、しんどすぎない?
一生舞台の上で他者を意識して生きてたんじゃ、息がつまっちゃうよ!
ってなわけで、早くそんなもの捨てちゃいましょう!というのが今回のお話のシメだった。
この世の中は、そういうシステムなんだ。
演じたい人には、演技をさせておけばいいし、
自分自身も必要に応じていくらでも演技をすればいい。
それを割り切って、わかって許してあげない限り、
一生あたしたちはこのゲームからおりることはできない。
さっさとこのゲームから降りて、傍観者になって楽になりましょうよーって。
うわ、本文長過ぎ!!
続きは秘密メモへ!!
と、いうわけで6時起きで行ってきました!三田まで!!
あぁああ・・・待ってましたvこの時を!!
ずっと前からすっごい楽しみにしてたんだよー。
で、大阪駅でけいちゃんと待ち合わせしてたんだけど・・・。
けいちゃん、寝過ごして現れなかった!!(笑)
と、いうわけで見知らぬ土地へ1人で行くハメに・・・。
1人でホンマに大丈夫なんか!?うち!とか思ってたら、
この前間違って降り立った川西池田で乗り換えをした。(笑)
ああ・・・なんか、因縁の地ってかんじ!
2週間ほどでまた川西池田に行くハメになるとはね・・・。(笑)
まあ迷うこともなく、サラッと三田に到着。
てきとーにしか切符買ってなかったんで、乗り越し料金払おうと思って並んでたら
いきなりトイレから先生が出てきた。(笑)
お互い「あ!!」ってかんじだったよ・・・。
そんで、ラッキーなことに先生を迎えに来てた車に一緒に乗せてもらって、
会場まで連れていってもらってしまった♪
うわーい!!早起きしたかいがあったってもんよ!(笑)
で、会場に到着。けっこうキレイなところだった。
今回は講演会っていっても、20人程度の小規模なゼミ形式のものだったから、
かなりアットホームな雰囲気でうれしかった。
っていうか、大学からわざわざ追っかけてきた生徒なんてあたしだけかと思ってたら、
他にもいたよー!(笑)
っていっても、その人は主催者の知り合いだったみたいなんだけどね。
何故かお互い顔だけは知ってて、中々に交流を深めてしまったわ。(笑)
しかも何故か、余ってるからって帰りの電車の切符までもらっちゃった!
なんか今日はラッキーすぎるぞ!!
で、講議はどんなだったかっていうと。
今回は主婦の人たちを対象としたものだったから、
社会学とはどういうものかから始まってすごーくわかりやすく整理されてた。
あ、ちなみに題名の「コミュニケーションの息苦しさ」っていうのは、本日の主題テーマ。
かいつまんで言うと、私達は自分の顔を鏡を通して見ることはできても、
自分の目で見ることはできない。
それと同じように、自分の心というものも自分の目で見ることはできなくて、
他者を通してしか自分自身を知ることができないのではないか、という考え方がある。
「自分は自分」なんていいながらも、いつも他人からの評価とかを気にしていて、
他者にどう思われたいかを演出したり、
その他者の評価を通して自分自身を評価しているっていうことだ。(ああ、うまく説明できない)
他者があって初めて、自分がわかる。
例えば、人に「お前は明るい」とか「面白い」と言われればその人は明るくて面白い人だし、
「暗い」と言われればその人はどれだけ自分が明るいと思っていても暗い人だ。
私自身の行為とは私がしているのではなくて、私の中の他者によって決められる。
この私の中の他者というのは自分の中でシュミレーションした他者の反応なり考え方だ。
そんで、そんな中で私達はそれぞれの状況や役割に応じて演技をして生きている。
例えば、生徒としての私。友達としての私。バイト先での私。家での私。ネットの中での私。
これら全部、同じ私なのにぜんっぜん違うものだ。
私達は、常にものすごくいろんな役割を持っていて、その役割を演じていて、
がんばってがんばって、がんばって生きている。
日常生活の行為と演技だ。
でもそんな中で、演じているけれど首尾一貫とした自分らしさがあると信じている。(これがアイデンティティってやつ)
でも、私達はその自分らしさっていうやつを、自分が主体的に自らの手で見つけたものだと信じたいけれど、
実はそれすら社会の規範だとか、他者からの評価など、
他者を通して手に入れたものだということに気がついていない。
でまあ、早い話しが全部演技なんだよーっていうこと!
生徒としての自分とか、働いてる自分とか、
その場に応じて、「ふさわしい、あるべき自分」というものを私達は常に演じている。
だってそうしないと、社会から排除されてしまう「困ったさん」になってしまうから。
社会からはみだすのはごめんだから、なんとか自分を「あるべき自分」へと持っていうこうとする。
でも、いくら一生懸命そんなものを探したところで、
それはただ近付けただけでそれすら自分の感情をコントロールした結果、
得たものなのだ。
ちょっとこれって、しんどすぎない?
一生舞台の上で他者を意識して生きてたんじゃ、息がつまっちゃうよ!
ってなわけで、早くそんなもの捨てちゃいましょう!というのが今回のお話のシメだった。
この世の中は、そういうシステムなんだ。
演じたい人には、演技をさせておけばいいし、
自分自身も必要に応じていくらでも演技をすればいい。
それを割り切って、わかって許してあげない限り、
一生あたしたちはこのゲームからおりることはできない。
さっさとこのゲームから降りて、傍観者になって楽になりましょうよーって。
うわ、本文長過ぎ!!
続きは秘密メモへ!!
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